アドリブとフレーズ

キース・ジャレットのケルン・コンサート:悪条件から生まれた即興演奏のフレーズ構成

1975年1月24日、ドイツのケルン市立歌劇場。深夜のステージに立ったキース・ジャレットが本来求めていたのは、ベーゼンドルファー290インペリアルだった。97鍵のフルコンサートグランドで、豊かな低音と透明度の高い高音を持つこの楽器は、ソロピアノの音楽を組み立てるうえで大きな自由を与えてくれる。…

キース・ジャレットのケルン・コンサート:悪条件から生まれた即興演奏のフレーズ構成

しかし、会場で待っていたのは、その条件から大きく外れたピアノだった。用意された小型のグランドピアノは調律が十分でなく、低音と高音の鳴りも弱い。ペダルの具合も悪く、ジャレットが思い描いていた音をそのまま引き出せる状態ではなかった。本人も長時間の移動による腰の痛みと睡眠不足を抱えていたとされる。

普通なら、演奏を延期したり、楽器の交換を求めたりしても不思議ではない。ところがジャレットは、そのピアノで演奏を始めた。結果として残されたのが、全編即興による『ケルン・コンサート』である。録音はソロピアノ作品として異例の規模で聴かれ続け、ジャズの枠を越えて、即興演奏の代表的な記録として知られるようになった。

この演奏を「天才が悪条件をものともしなかった夜」とだけ捉えると、肝心な部分を見落とす。重要なのは、ジャレットがピアノの状態を受け入れたことではない。鳴る音域、保てる響き、扱いやすいリズムを即座に見極め、フレーズの設計そのものを変えたことにある。

ジャズピアノのアドリブでは、理論を知っているだけでは演奏は成立しない。その場の楽器がどの音を返すのか、どの音が残り、どの音が消えるのかを耳で判断しなければならない。ケルン・コンサートは、その判断が演奏全体の構造へ直結した例だ。

1975年ケルン:極限状態が導いた音楽的制約と適応

まず、ケルンで何が制約になったのかを整理しておきたい。

コンサート用のピアノは、同じメーカー、同じ機種であっても、個体や調整によって印象が大きく変わる。弦の状態、ハンマーの硬さ、整音、鍵盤の戻り、ペダルの反応、会場の響き。これらが少し違うだけで、ピアニストが使える音の輪郭は変化する。

ケルンで用意されたピアノについては、特に次のような問題が指摘されてきた。

  • 低音が十分に鳴らず、左手で根音を押さえても音の土台が残りにくい
  • 高音が弱く、右手の旋律を強く浮かび上がらせにくい
  • 調律の不安定さによって、音程の美しさよりも音の配置や反復が目立ちやすい
  • ペダルの扱いに制約があり、長い残響を使ったレガートを自由に設計しにくい
  • 楽器全体の反応が均一ではなく、音域によってタッチと音量の感覚が異なる

ここで注意したいのは、「悪いピアノだから、すべての音が使えなかった」という単純な話ではないことだ。実際には、鳴りにくい音域がある一方で、比較的反応のよい中音域もあった。ジャレットは、その差を演奏中に利用した。

通常のソロピアノでは、左手を低音に置き、右手を中高音域に置く。低音でハーモニーの根を作り、中音域でコードの性格を示し、高音域で旋律を歌わせる。これは非常に自然な役割分担だ。しかし、低音が弱く、高音も思うように通らないなら、この三層構造をそのまま使う意味は薄くなる。

ジャレットは、左手を低音のベースラインだけに固定しなかった。中音域に反復する音型を置き、そこへコードの響きとリズムの推進力を集めた。右手も、高音で細い旋律を目立たせるより、中音域から少し上の範囲で声のようなモチーフを重ねていく。結果として、ピアノの弱点を隠すのではなく、音楽の中心へ組み込んだ。

一般的なソロピアノの役割ケルン・コンサートで目立つ設計
低音域で根音とベースラインを示す低音の使用を必要最小限に抑え、響きの残る位置を優先する
中音域でコードや伴奏を支えるオスティナート、コード、リズムを同じ音域に集約する
高音域で旋律や装飾を歌わせる高音に依存せず、中音域の反復と声部の重なりで旋律を作る
ペダルで長い残響を作るペダルだけに頼らず、指の反復と音の切り方で流れを維持する
複数のコードを細かく移動する少数の和声的な拠点を長く保ち、その上で旋律を変化させる

この発想は、機材の状態に左右される現代のプレイヤーにもそのまま応用できる。自宅の電子ピアノでは、ヘッドホンで聴く音とスピーカーから部屋に広がる音が一致しないことがある。低音が膨らみすぎたり、逆に輪郭を失ったり、高音だけが目立ったりすることもある。

そこで必要なのは、理想の音を想像し続けることではない。まず自分の楽器が、どの音域で最も明瞭に反応するかを確認することだ。低音がこもるなら、左手を少し上へ移して音の輪郭を探す。高音が細いなら、オクターブで音量を補うのではなく、中音域で旋律の密度を上げる。ペダルの響きが濁るなら、音を伸ばす代わりに反復の間隔を整える。

ケルンの演奏から学べるのは、欠陥を我慢する方法ではない。制約を音楽上のルールへ変換する方法である。

悪条件のピアノで演奏を成立させたのは、欠点を消したからではない。鳴る場所と鳴らない場所の差を、フレーズの形に変えたからだ。

中音域の魔術:ピアノの欠陥を逆手に取ったオスティナート活用術

『ケルン・コンサート』を聴くと、冒頭から左手の反復パターンが強い存在感を持っていることに気づく。一定の音型やリズムが繰り返され、その上に右手の旋律が少しずつ姿を変えながら乗っていく。

この反復は、単なる伴奏ではない。演奏全体の時間を支える骨格であり、即興を続けるための足場でもある。左手が毎回まったく同じ音を弾いているわけではなくても、聴き手には一定の周期と重心が感じられる。その重心があるから、右手は自由に動ける。

オスティナートとは、短い音型や和声的なパターンを繰り返し続ける手法だ。クラシック、フォーク、ゴスペル、ミニマル音楽などにも見られるが、ジャズピアノでは、反復の上で旋律やリズムを変化させるために使われることが多い。

ケルン・コンサートでのオスティナートには、少なくとも三つの役割がある。

1. 低音の代わりに、時間の土台を作る

低音が豊かに響かない場合、左手で長いベースラインを弾いても、ハーモニーの根が残らない。そのとき、音高だけで土台を作ろうとすると、演奏は不安定になりやすい。

ジャレットは、短い音型を規則的に反復することで、音の長さではなく、時間の流れに重心を置いた。低音が長く残らなくても、パターンが戻ってくれば、聴き手はハーモニーの位置を感じ取れる。

これは、コードの根音を毎回強く鳴らすこととは違う。根音を示すだけでなく、どのタイミングに戻るのかを明確にする。和声の土台を、音の厚みからリズムの周期へ移したわけだ。

2. 右手が迷わず展開できる範囲を作る

即興で難しいのは、右手の音を選ぶことだけではない。次にどこへ向かうかを判断しながら、現在のフレーズを終わらせる必要があることだ。

左手のパターンが安定していれば、右手は毎回ゼロから構成を考えなくてよい。フレーズが途中で止まっても、左手は次の周期へ戻っていく。休符を置いても、短いモチーフに戻っても、音楽の流れが途切れない。

この「戻れる場所」があることは、アドリブの練習で非常に大きい。初心者が即興で音を詰め込みすぎるのは、止まるのが怖いからだ。しかし左手に一定の周期があれば、右手が休んでも音楽は止まらない。沈黙もフレーズの一部として扱えるようになる。

3. 反復そのものを、少しずつ変化させる

オスティナートは、同じものを機械的に繰り返す技法ではない。同じように聴こえるパターンへ、微細な変化を加えることで、長い時間を持たせる。

変化させられる要素は多い。

  • 最後の音だけを短くする
  • 反復の開始点にアクセントを置かない
  • 一拍分の休符を加える
  • 低い音を省き、コードの上部だけを残す
  • 左手のパターンは維持し、右手の入り口だけを変える
  • 何周かに一度、音型の終わりを伸ばす
  • 同じリズムのまま、音の並びを少しだけ入れ替える

この変化は、コード進行を複雑にすることとは別のものだ。和声を大きく動かさなくても、アクセント、音価、休符、密度を変えれば、フレーズには呼吸が生まれる。

即興の種明かし:ベルの音から広がるミニマルなコード展開

『ケルン・コンサート』の冒頭には、短い音型が何度も現れる。印象的なのは、そのモチーフが最初から完成された主題として提示されるのではなく、探るように、確かめるように反復されることだ。

この冒頭の着想には、開演前に劇場内で鳴った合図のベルが関係していると語られている。ただし、ここで大切なのは、ベルの音を正確に再現したかどうかではない。偶然耳に入った短い音を、即興の出発点として使える状態にあったことだ。

即興の「種」は、複雑なメロディである必要はない。二つか三つの音、短いリズム、上行する音程、少し変わったアクセント。それだけで十分に始められる。

モチーフを展開する四つの操作

短いモチーフを長い即興へ育てるとき、最初から新しいフレーズを次々に探す必要はない。ひとつの種に対して、次のような操作を加えればよい。

1. 反復する

まずは同じ形を何度か聴かせる。反復によって、聴き手は音型の輪郭とリズムを覚える。

2. 音域を移す

同じ音程関係を少し上や下へ動かす。音そのものが変わっても、輪郭が保たれていれば、元のモチーフとのつながりは残る。

3. リズムを変える

音数を増やすより、音の長さや入り口を変える。短く切る、後ろへずらす、休符を挟む。それだけでも別の表情になる。

4. 一部だけ残す

モチーフ全体を弾き続けるのではなく、最後の二音だけ、あるいは最初のリズムだけを残す。断片が次のフレーズのきっかけになる。

『ケルン・コンサート』では、このような小さな動きが、広い音楽の流れへつながっていく。ひとつのモチーフが、そのまま長時間続くという意味ではない。反復、変形、分解、再提示を繰り返すことで、最初の音の記憶が演奏全体の中に残るのである。

シンプルな和声が自由を生む

この演奏を和声の面から聴くと、複雑なコード進行を次々に移動するタイプの即興ではないことがわかる。イ短調からト長調へ向かうような動きなど、少数の和声的な拠点が長く保たれ、その上で旋律、アクセント、音域、密度が変化する。

コード進行が単純だと、音楽も単純になる。そう考える人は多い。しかし、実際には逆のことが起きる場合がある。コードが頻繁に変わらなければ、演奏者は和声の変化を追いかける代わりに、ひとつの響きの内部を深く掘り下げられる。

たとえば、イ短調の上で使える音を考える場合、コードトーンだけに限定する必要はない。マイナーペンタトニックの音列を中心に置けば、音数を抑えたまま旋律の方向を作れる。そこへブルースらしい経過音、短い半音の接近、同じ音の反復を加えると、和声を大きく動かさなくても緊張と解放が生まれる。

反対に、コードが短い周期で変わると、右手はそのたびに着地点を確認しなければならない。理論的には豊かでも、フレーズがコードの説明に追われることがある。ジャレットの演奏は、コード進行を見せるよりも、少ない和声の上で身体的な流れを作る方向へ向かっている。

シンプルなコードは、即興の制限ではない。旋律をどこまで深く掘れるかを試すための、広い余白になる。

複雑な理論を超えて:フォーク・ゴスペル的アプローチの即興構築

ケルン・コンサートをジャズ理論の用語だけで説明しようとすると、どこかで無理が生じる。もちろん、調性、コード、音階、テンションといった分析は役に立つ。しかし、この演奏の魅力は、コードスケールを正しく並べたことだけにはない。

目立つのは、フォークやゴスペル、ブルースに近い、歌うようなフレージングだ。短い旋律を何度も繰り返し、音の強さを変え、リズムを押し引きしながら、少しずつ高揚させていく。そこでは、複雑な音の選択よりも、フレーズをどのように呼吸させるかが重要になる。

具体的には、次のような特徴が聴き取れる。

  • マイナーペンタトニックを中心にした、音数の少ない旋律
  • 同じ音型を異なるアクセントで繰り返すリズム設計
  • ユニゾンやオクターブによって、旋律の存在感を補う奏法
  • 低い声部と中音域の反復を組み合わせた、歌と伴奏のような構造
  • 小さなモチーフを長く保ち、音量と密度を段階的に高める展開
  • 高揚のあとに音数を減らし、余白や静けさへ戻るコントラスト

ペンタトニックは「簡単な音階」ではない

マイナーペンタトニックは、ジャズの練習では初心者向けの音階として扱われることがある。イ短調なら、ラ、ド、レ、ミ、ソを基本にする音列だ。五つの音しかないため、外れにくい。その一方で、使い方が単調になれば、すぐに練習フレーズらしく聴こえてしまう。

違いを生むのは、音階の種類ではなく、音の置き方だ。

同じ五音でも、次のような違いを作れる。

  • 最初の音を毎回変える
  • 音階を上るのではなく、三音の小さな形を繰り返す
  • 音を弾かずに、次の拍まで待つ
  • 同じ音を長く伸ばしてから、短い音を続ける
  • 旋律の最後だけを変えて、次の周期へつなぐ
  • 右手の音型と左手のアクセントをあえてずらす

この考え方は、コード理論を否定するものではない。理論を先に増やしすぎず、まず耳が反応する範囲を見つけるということだ。コードネームを見て使える音を決める前に、同じ和音を鳴らし続け、どの音が安定し、どの音が揺れを作るのかを聴く。その経験が、理論を身体に近づけてくれる。

ゴスペル的な「積み上げ」

ケルン・コンサートの高揚感は、ひとつの派手なフレーズから突然生まれるわけではない。短い音型、反復するリズム、少しずつ増える音数、強くなるアクセントが積み重なって、ある時点で大きなうねりになる。

この構造は、ゴスペルの伴奏や歌の盛り上がりにも通じる。最初から最大音量で弾くのではなく、同じ土台を保ったまま、声部や密度を増やしていく。

練習では、次のように段階を分けるとよい。

  • 最初の数周は、左手と右手を少ない音だけで保つ
  • 次に、右手へ短い装飾音を加える
  • さらに、オクターブや和音を加えて音の厚みを出す
  • リズムのアクセントを強くし、フレーズの頂点を作る
  • 頂点を過ぎたら、音数を減らし、最初のモチーフへ戻る

ここで大事なのは、盛り上げることよりも、戻ることだ。頂点へ向かうだけの即興は、聴き手にも演奏者にも疲労を残す。静かな状態へ戻る道筋があるからこそ、次の上昇が意味を持つ。

ケルン・コンサートのフレーズ構成を聴き分ける

この録音を「どこがすごいのか」と漠然と聴くのではなく、いくつかの層に分けて追うと、即興演奏の組み立て方が見えやすくなる。

最初に聴くのは、音符ではなく重心

まず右手の細かな音を追わず、演奏の重心がどこにあるかを聴く。左手の反復がどの拍へ戻ってくるのか、どこにアクセントがあるのか、どのタイミングでコードの形が変わるのかを確認する。

楽譜に書き起こす場合も、最初からすべての音を採譜する必要はない。左手のリズムと、和声の変わり目だけを記録する。そこへ右手の特徴的な二、三音を加えていくと、フレーズの骨格がつかみやすい。

次に、反復の中の差を聴く

同じ音型が繰り返されていても、毎回同じ演奏ではない。音の強さ、打鍵の深さ、休符の長さ、ペダルの残り方が少しずつ変わる。

この変化は、譜面上では見えにくい。録音を短い区間で繰り返し聴き、次の点を確認するとよい。

  • 何回目の反復で右手が入るのか
  • 右手のフレーズは毎回どの音から始まるのか
  • 左手のパターンが変わる前に、アクセントはどう移動するのか
  • 音数が増えるとき、音域も広がっているのか
  • 高揚の直前に、あえて音が減る瞬間があるのか

即興を分析するとき、変化した部分だけに注目しがちだ。しかし、変化を受け止めている「変わらない部分」のほうが重要な場合も多い。ケルン・コンサートでは、反復する伴奏と和声の拠点が、右手の自由を支えている。

最後に、フレーズの終わり方を見る

アドリブの練習で見落とされやすいのが、フレーズの終わり方だ。始まり方は考えていても、どこで止めるか、どの音を残すか、次の周期へどう渡すかを決めていないことが多い。

ジャレットの演奏では、旋律が完全に閉じるとは限らない。途中で切れたり、短い音型に戻ったり、同じ音を繰り返したりする。それでも、左手の周期があるため、聴き手は次の展開を待つことができる。

これは、フレーズを「文章」として考えると理解しやすい。すべての文を明確な結論で終わらせる必要はない。問いかけのまま次へ進む文、途中で区切る文、同じ言葉を繰り返して余韻を作る文があってよい。即興も同じで、完結しないフレーズが次のフレーズを呼び込む。

現代の即興演奏に活かす:制約を創造性に変える練習のヒント

ケルン・コンサートから実践的に学ぶなら、録音をそのままコピーするよりも、演奏を成立させている条件を自分の練習へ移すほうがよい。

制約プレイ:意図的に使える範囲を狭くする

最初の練習は、鍵盤の使用範囲を制限することだ。広い音域を自由に使えると、困ったときに音域を移動して逃げられる。範囲を狭めれば、同じ音域の中で、リズム、音価、アクセント、休符を工夫する必要が出てくる。

次のいずれかを選んで、短い即興を行う。

  • 低音域を使わず、中音域だけで伴奏と旋律を組み立てる
  • 高音域を避け、右手も中音域で歌わせる
  • 白鍵だけを使い、音数ではなくリズムで変化を作る
  • ダンパーペダルを使わず、指だけで音のつながりを作る
  • 右手の音を三音から五音程度に限定する
  • 左手のパターンを決めたまま、右手だけを自由にする

制約は、長時間続ける必要はない。短い時間でも、最初に条件を決めてから弾くことが大切だ。弾き始めてから都合よくルールを変えると、制約の効果が薄れる。

オスティナート・ビルディング:左手の土台を設計する

左手のオスティナートは、複雑である必要はない。イ短調からト長調へ、あるいはニ短調からハ長調へと二つの和声を往復するだけでも、十分に練習になる。

練習の手順

1. 二小節程度のパターンを作る

最初は音を詰め込まず、低音とコードの上部を少数の音で配置する。左手が無理なく繰り返せることを優先する。

2. リズムを固定する

音を変える前に、リズムだけを安定させる。左手が揺れると、右手の即興を聴く余裕がなくなる。

3. 右手で短いモチーフを弾く

いきなり長い旋律を作らず、二音から四音の小さな音型を反復する。まずは同じ形を保つ。

4. 一つの要素だけを変える

音高、リズム、音域、音量を同時に変えない。たとえば音高を保ったまま、入り口だけを後ろへずらす。

5. フレーズの密度を上げ下げする

音を増やす区間と、音を減らす区間を作る。全体を同じ密度で弾かない。

6. 左手を止めずに、右手だけ休む

右手が沈黙しても音楽が続く感覚を身につける。休符を恐れないための重要な練習になる。

この練習で目指すのは、派手な右手のフレーズではない。左手が安定しているからこそ、右手が少ない音でも成立する状態だ。

コードを増やさず、響きの内部を探る

即興の練習では、コードを増やすことが上達だと思われやすい。四つのコードを八つにし、テンションを加え、代理コードを使う。こうした知識は確かに役立つが、コードの数が増えるほど、ひとつの響きを深く聴く時間は短くなる。

一つのコード、または二つのコードだけを使い、次の要素を順番に変えてみる。

  • 音域だけを変える
  • 音の長さだけを変える
  • 同じ音を繰り返し、アクセントだけを変える
  • 右手の音数を増減させる
  • 左手のパターンを保ち、右手の休符を増やす
  • 同じ旋律を長調と短調の感覚で弾き分ける

この練習は、コード進行が少ない曲でアドリブを組み立てるときに特に有効だ。ハーモニーが動かないからこそ、フレーズの形、音の重さ、リズムの粘りがはっきり聴こえる。

ベルからフレーズへ:日常の音を即興の種にする

劇場のベルから冒頭のモチーフが生まれたという話は、即興の入り口を広げてくれる。練習のために特別なメロディを用意しなくても、日常の中には短い音の素材がある。

スマートフォンの通知音、駅の発車メロディ、信号機の音、店内の呼び出し音、空調機器の低い振動。耳に残った音を、ピアノで探してみる。

手順は単純でよい。

1. 日常の音から、最初に聞こえた音の高さを探す

2. その音を中心に、上下二音程度を加える

3. 三音から五音の短いモチーフを作る

4. リズムを変えずに何度か反復する

5. 音域、音量、休符の位置を少しずつ変える

6. 最後に左手へオスティナートを加える

正確な音程を取れなくても問題はない。大切なのは、耳に入った現実の音を、鍵盤上の抽象的な音名へ変換することだ。その変換ができると、即興の材料を楽器の前で探し続ける必要がなくなる。

録音して確認する

制約を使った練習は、弾いている最中より、録音を聴き返したときに効果がわかる。自分では変化を作ったつもりでも、実際には音数が増えただけということがある。逆に、意識していなかった休符やアクセントが、フレーズの個性になっている場合もある。

聴き返すときは、演奏の良し悪しを一度に判断しない。次の順番で確認すると、改善点が具体的になる。

  • 左手の周期は最後まで崩れていないか
  • 右手のモチーフは何度か戻ってきているか
  • 音数が増える区間と減る区間があるか
  • フレーズの終わりが毎回同じになっていないか
  • 高揚したあとに、音楽を静かに戻せているか
  • 鳴りにくい音域へ、無意識に逃げていないか

ここで「間違った音」をすぐに探す必要はない。ケルン・コンサートから学ぶべきなのは、正しい音を連続させることより、限られた素材をどう意味のある流れにするかだからだ。

制約は敵ではない

『ケルン・コンサート』は、ジャズピアノの即興演奏を考えるうえで、極めて特別な録音である。ただし、その価値は、どんな条件でも天才なら演奏できると示したことにはない。

この演奏が教えてくれるのは、楽器の状態が音楽の構造を変えるということだ。低音が十分に鳴らないなら、低音へ役割を集中させない。高音が弱いなら、高音だけで旋律を成立させようとしない。ペダルに頼れないなら、指の反復と音の切り方で流れを作る。複雑なコード進行が必要でないなら、少数の和声を長く保ち、その内部で旋律を深く掘る。

整理すると、ケルンの夜に起きていたことは次のようになる。

  • 楽器の弱点が、使用する音域を選ばせた
  • 音域の制限が、中音域のオスティナートを強調した
  • 反復するパターンが、右手の即興を支えた
  • シンプルな和声が、旋律とリズムの自由を広げた
  • 小さなモチーフが、長い演奏の記憶をつないだ
  • 音量と密度の変化が、即興に大きな構成感を与えた

もちろん、ジャレットの演奏をそのまま再現することはできない。彼のタッチ、身体の動き、音楽的な判断、当日の会場の響きは、一度きりの条件の中で生まれたものだ。だから、同じ音を探すより、同じ考え方を自分の環境へ移すほうが意味がある。

手元のピアノで最もよく鳴る音域はどこか。左手はどの程度の音数なら安定するか。ペダルを踏んだとき、どこから響きが濁るか。自分のフレーズは、どのリズムへ戻ると自然に聴こえるか。

この問いに答えていくと、機材の不足は単なる不便ではなくなる。鳴る場所を探し、使う音を絞り、反復の中で変化を作る。その過程で、即興演奏の組み立て方が少しずつ具体的になる。

完璧なピアノを待たなくても、アドリブは始められる。まずは一つの音域、一つのリズム、一つの短いモチーフだけで演奏を続けてみる。その制約の中で何ができるかを耳で探すことが、キース・ジャレットのケルン・コンサートから受け取れる、最も実践的なヒントである。

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よくある質問

『ケルン・コンサート』で使われたピアノにはどんな問題がありましたか?
用意された小型グランドピアノは調律が十分でなく、低音と高音の鳴りも弱い状態でした。ペダルの具合にも問題があり、音域によってタッチや音量の感覚も異なっていたと指摘されています。
キース・ジャレットは悪条件のピアノをどのように演奏へ取り入れましたか?
鳴りやすい音域や残りやすい響きを即座に見極め、低音の使用を抑えながら中音域に反復音型、コード、リズムを集めました。高音に依存せず、中音域の声部の重なりで旋律を作っています。
『ケルン・コンサート』のオスティナートにはどんな役割がありますか?
反復する短い音型が、低音の厚みの代わりに時間の流れの重心を作っています。また、左手の周期が安定することで、右手が休符や短いモチーフを使いながら自由に展開できます。
『ケルン・コンサート』の冒頭のモチーフは何から生まれたのですか?
開演前に劇場内で鳴った合図のベルが、冒頭の着想に関係していると語られています。重要なのは、偶然耳に入った短い音を即興の出発点として使ったことです。
ケルン・コンサートの即興構成を練習に活かす方法はありますか?
使う音域を中音域だけに絞る、ペダルを使わずに弾く、左手のオスティナートを固定して右手で短いモチーフを変化させるといった練習ができます。録音を聴き返し、反復の安定性や音数の増減、フレーズの終わり方を確認する方法も紹介されています。

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