
原因の一つは、ピアノとベースが同じ低い音域で、同じような役割の音を鳴らしていることです。私たちピアノ奏者が普段何気なく弾いている「コードの根っこ」、つまりルートという音が、ベースの低音と重なってしまう。すると、コードをしっかり弾いているつもりなのに、全体では音が詰まり、和音の輪郭が見えにくくなります。
私がこの壁にぶつかったのは、セッションに顔を出してから間もない頃でした。必死にルートを響かせようとして左手を低く構えすぎて、ベースの音とケンカしてしまう。気づけば音がいっぱいに詰まって、聴いているみんなが少し苦しそうにしているように見えました。
そんなとき、先輩プレイヤーに「ルートは弾かなくていいんだよ」と教わりました。最初はかなり不安でした。コードの名前を決める大事な音を抜いてしまったら、いったい何のコードを弾いているのか分からなくなるのではないか。ところが、実際にルートを外して3度、7度、そしてテンションを弾いてみると、響きはむしろ明るく、立体的になりました。
そこで出会ったのが、ルートレスヴォイシングという考え方です。
ルートレスヴォイシングとは、その名前が示すとおり、コードのルートをあえて弾かずに和音を構成する、ジャズピアノでよく使われる配置のことです。レフトハンド・ヴォイシングや、ビル・エヴァンス・ヴォイシングと呼ばれることもあります。
一見すると、大事な音を抜いているように聞こえますよね。でも実際には、この「抜く」という選択によって、低音域の混雑を避け、コードの個性を決める音を前に出し、さらにテンションを加える余白まで作ることができます。ルートレスヴォイシングは、音を減らす技術というより、音の役割を整理する技術なんです。
ルートを省くことは、音を奪うことではない。音を空けることで、新しい響きを迎える準備をすることです。
なぜルートを弾かないのか:アンサンブルにおける音域の衝突と回避
ジャズは、複数の楽器がそれぞれの役割を受け持ちながら、一つのグルーヴを作り上げていく音楽です。ピアノ、ベース、ドラムス、そして時にはギターやホーンが加わります。
その中で、ベースは音楽の低い部分を支える役割を担います。もちろんベースがいつもルートだけを弾いているわけではありません。歩くように音をつないだり、経過音を入れたり、拍の裏で動いたりします。それでも、低音域でコードの土台を示しているのは、基本的にベースです。
ここへピアノが低い位置でルートを重ねると、二つの楽器の音が同じ場所に集まります。ベースのルートとピアノのルートが同時に鳴るだけなら、必ずしも問題になるわけではありません。しかし、ピアノがルート、3度、5度、7度を低い音域にまとめて置くと、音の間隔が狭くなり、低音のエネルギーが一気に膨らみます。
このとき起きていることを説明する言葉の一つが、ロー・インターバル・リミットです。低い音域では、音と音の間隔が狭いほど、それぞれの音を独立して聞き分けにくくなります。高い音域ならきれいに聞こえる和音も、低い位置で同じように積むと、濁った響きになりやすい。
たとえば、低いドと低いミを同時に鳴らしたとき、その長三度の関係は高い位置ほど明瞭には聞こえません。さらに低いソやシまで加えれば、コードの構成音を増やしたはずなのに、結果として「厚い」よりも「重い」「曖昧な」響きになることがあります。
私も最初の頃は、「コードの土台はルート」と教わったまま、左手を低く構えすぎて、よくベースと喧嘩していました。特にお店のステージが狭く、ベースアンプとピアノが近いときは大変です。自分では力強く弾いているつもりでも、客席ではピアノの左手がベースの輪郭を覆ってしまう。
「少し音がぼやけていますね」とミックスを担当している方から小声で指摘されて、冷や汗が止まらなかったこともあります。
ルートレスヴォイシングを使うと、ピアノの左手はベースのいる低音域から少し離れ、中音域寄りに移動します。ルートをベースに任せることで、ピアノは3度、7度、テンションといった、コードの表情を作る音に集中できる。ベースは低音の土台を作り、ピアノはその上に和音の色を置く。役割分担がはっきりするわけです。
ここで大切なのは、「ルートを絶対に弾かない」という規則ではありません。ベースがルートを弾いているとき、ピアノはルートを省くと効果的です。一方で、ソロピアノやベースが休んでいる場面では、ルートを入れた方が音楽として自然な場合もあります。
ルートレスという名前に引っ張られて、どんな状況でもルートを避ける必要はありません。まずは、低音域の混雑を避けるためにルートをベースへ預ける、と考えると分かりやすいでしょう。
コードの個性を決めるガイドトーン:3度と7度の役割
「でも、ルートを弾かなかったら、メジャーコードなのかマイナーコードなのか分からなくなってしまわないですか?」
これは、ルートレスヴォイシングを始めるときに多くの人が感じる疑問です。実際、ルートはコード名を把握するために重要な音です。ただし、コードの性格を耳に伝える役割を考えると、ルートと同じくらい、あるいはそれ以上に重要なのが3度と7度です。
この二つの音を、ガイドトーンと呼びます。ガイド、つまり和音の方向を案内する音です。
Cメジャー7なら、3度はミ、メジャー7度はシです。この二音が鳴っていれば、ベースがドを弾いている限り、ピアノがドを弾かなくてもCメジャー7の明るく安定した性格が伝わります。
Cマイナー7なら、3度はミ♭、7度はシ♭です。ここは特に間違えやすいところですが、Cマイナー7の7度はシではありません。シはCに対するメジャー7度なので、シを入れるとマイナー・メジャー7のような別の色合いになります。Cマイナー7の構成音は、ド、ミ♭、ソ、シ♭。ルートを省くなら、まずミ♭とシ♭を確保します。
Cドミナント7なら、3度はミ、7度はシ♭です。メジャー7のシではなく、♭7度のシ♭になることで、コードには解決を求める不安定さが生まれます。
| コード | 3度 | 7度 | ルートを省いたときに残る性格 |
|---|---|---|---|
| Cメジャー7 | ミ | シ | 明るく、安定した響き |
| Cマイナー7 | ミ♭ | シ♭ | 影があり、落ち着いた響き |
| Cドミナント7 | ミ | シ♭ | 緊張感があり、解決を求める響き |
特にドミナント7のガイドトーンは、コード進行の流れをはっきり示します。
G7の構成音は、ソ、シ、レ、ファ。ガイドトーンは3度のシと、♭7度のファです。次のCコードへ進むとき、シはドへ半音上行し、ファはミへ半音下行するのが基本的な解決です。
つまり、
- G7のシ → Cのド
- G7のファ → Cのミ
という二つの半音進行が、G7からCへの強い推進力を作ります。
ここは、G7の「ミ」と「シ♭」がCへ進む、という説明ではありません。ミはG7の3度ではなく、ファがG7の♭7度です。ガイドトーンを耳で追うときは、コード記号から慌てて音を当てはめるのではなく、まずルートから3度と7度を数えて確認すると間違いが減ります。
G7からCメジャー7へ進む場合、次のような左手の動きが考えられます。
- G7:シ・ファ
- Cメジャー7:シ・ミ
この配置では、ファがミへ半音下がる一方、シはそのまま共通音として残ります。あるいは、Cメジャー7の3度であるミへ向かう別の声部の流れを作ることもできます。重要なのは、コード名を変えるたびに手全体を大きく移動させるのではなく、ガイドトーンの小さな動きを聴くことです。
ガイドトーンを意識して練習するなら、コード進行を3度と7度だけで弾いてみるのがおすすめです。たとえば、Dm7→G7→Cメジャー7なら、
- Dm7:ファ・ド
- G7:シ・ファ
- Cメジャー7:ミ・シ
というように、二音だけでコードの性格と進行を確認できます。
この練習をすると、コード進行が単なる記号の並びではなく、音がどこへ動きたがっているのかとして聞こえてきます。ルートレスヴォイシングの左手の役割は、コード名を大声で説明することではありません。ベースが示す根音の上で、3度と7度を使ってコードの表情と進行方向を明確にすることです。
指の自由度が生む色彩:テンションノートの追加
ルートを弾かないことのもう一つの大きなメリットは、左手に音を置く余白が生まれることです。
通常の7thコードをルート、3度、5度、7度の4音で押さえると、左手の指はほぼ埋まります。ところが、ルートを省けば、その場所に9thや13thなどのテンションを入れられる。ここから、ルートレスヴォイシングは単なる省略ではなく、ジャズらしい色彩を作るための方法へ変わっていきます。
テンションノートとは、コードの基本構成音である1度、3度、5度、7度に加える拡張音です。代表的なものに9th、11th、13thがあります。オクターブ上で考えれば、それぞれ2度、4度、6度に当たりますが、コードの上に積み重ねる音として扱うため、9、11、13という名前で呼びます。
私がセッションに慣れてきた頃、空いた指で9thを加えた瞬間の感覚は、今でも覚えています。いつものメジャーコードに、たった一つ音を足しただけなのに、響きが急に広がる。音が「揺れる」とでも言えばいいでしょうか。コードが平面から立体へ変わったように聞こえました。
テンションには、それぞれ違う働きがあります。
| テンション | 響きの傾向 | 使うときの考え方 |
|---|---|---|
| 9th | 透明感、広がり、柔らかさ | メジャー系やマイナー系の基本色として使いやすい |
| 11th | 浮遊感、開放感、緊張感 | メロディや3度との衝突を確認して置く |
| 13th | 華やかさ、明るさ、奥行き | ドミナント7やメジャー系で5度の代わりに使いやすい |
| ♭9th | 強い緊張、暗さ、解決感 | ドミナント7で解決先を意識して使う |
| ♯11th | 現代的な明るさ、鋭い透明感 | メジャー7やドミナント7の色付けに向く |
たとえばG7で、基本の構成音から5度のレを省き、3度のシ、13thのミ、♭7度のファ、9thのラを置けば、G13の響きになります。音の並びは、低い方からシ・ミ・ファ・ラ。ルートのソを弾いていなくても、ベースがソを鳴らしていれば、G13として十分に機能します。
このとき、5度を省いていることにも意味があります。5度はコードの種類を決める力が3度や7度ほど強くないため、テンションを置くスペースを作るために省略されることが多い。ルートレスヴォイシングでは、何を残すかだけでなく、何を省いてもコードの性格が保たれるかを考えます。
ただし、テンションは多ければ多いほどよいわけではありません。メロディがすでに9thを歌っているところで、左手にも9thを強く置けば、きれいに重なることもあれば、音域によってはメロディを邪魔することもあります。11thと3度の距離が近い場合も、濁りが目立つことがあります。
まずは一つのコードに、一つのテンションだけを足してください。
- Cメジャー7に9thを加える
- Dm7に9thを加える
- G7に13thを加える
- G7に♭9thを加えて、Cへ解決させる
この程度から始めれば、テンションが「難しい飾り」ではなく、コードの表情を変える具体的な音として聞こえてきます。
テンションノートは、色を塗り重ねることではありません。必要な場所に一色だけ置くことで、和音の奥行きを見せるものです。
AタイプとBタイプの基本構造:コード進行を滑らかにつなぐ配置法
ルートレスヴォイシングには、主に二つの基本形があります。AタイプとBタイプです。
一般的には、Aタイプは3度を一番下に置く形、Bタイプは7度を一番下に置く形として説明されます。ここでいう「一番下」は、コードのルートではなく、ピアノで押さえるヴォイシング内の最低音です。
この二つを使い分ける理由は、コード進行を滑らかにつなぐためです。同じコードでも、AタイプとBタイプでは最低音と上声の位置関係が変わります。次のコードへ移るとき、手を大きく動かさずに済む形を選べるわけです。
たとえば、CMaj9の構成音はド、ミ、ソ、シ、レ。ルートを省いた基本的な4音配置は次のようになります。
- Aタイプ:3-5-7-9、ミ・ソ・シ・レ
- Bタイプ:7-9-3-5、シ・レ・ミ・ソ
含まれている音は同じですが、並び順が違います。Aタイプでは3度のミが最低音になり、Bタイプでは7度のシが最低音になります。
Dm9の場合は、ここを特に正確に覚えておきたいところです。Dm9の構成音は、レ、ファ、ラ、ド、ミ。ルートを省いたAタイプとBタイプは次の形になります。
- Aタイプ:3-5-7-9、ファ・ラ・ド・ミ
- Bタイプ:7-9-3-5、ド・ミ・ファ・ラ
「ファ・ソ・シ♭・レ」や「シ♭・レ・ファ・ソ」はDm9の構成音ではありません。そこには別のコードを連想させる音が含まれてしまいます。コード記号を見たら、まずルートから3度、5度、7度、9度を一つずつ積み上げ、実音に直して確認する癖をつけると安心です。
ドミナント13thのG13なら、構成音の中心はソ、シ、レ、ファ、ラ、ミです。ルートと5度を省略し、3度、13th、♭7度、9thを使うと、次の形になります。
- Aタイプ:3-13-♭7-9、シ・ミ・ファ・ラ
- Bタイプ:♭7-9-3-13、ファ・ラ・シ・ミ
このような配置では、3度と♭7度がコードのドミナントらしさを示し、9thと13thが響きに広がりを与えます。
| コード | Aタイプ | Bタイプ | 省略している主な音 |
|---|---|---|---|
| CMaj9 | 3-5-7-9(ミ・ソ・シ・レ) | 7-9-3-5(シ・レ・ミ・ソ) | ルートのド |
| Dm9 | 3-5-7-9(ファ・ラ・ド・ミ) | 7-9-3-5(ド・ミ・ファ・ラ) | ルートのレ |
| G13 | 3-13-♭7-9(シ・ミ・ファ・ラ) | ♭7-9-3-13(ファ・ラ・シ・ミ) | ルートのソ、5度のレ |
ヴォイスリーディングを考えるとき、AタイプとBタイプを機械的に交互に使えばよいわけではありません。目標は、コードからコードへ音を滑らかに動かすことです。
たとえば、Dm7→G7→CMaj7というII-V-I進行を考えてみましょう。
- Dm7:ファ・ラ・ド・ミ
- G7:ファ・ラ・シ・ミ
- CMaj7:ミ・ソ・シ・レ
Dm7からG7では、ファとラが共通音として残り、ドがシへ、ミがそのまま残る形を作れます。G7からCMaj7では、ファがミへ半音下がり、シが共通音として残ります。こうして見ると、コード記号は変わっているのに、手の中の音は大きく移動していません。
これが、ルートレスヴォイシングの「滑らかさ」です。左手でコードを押さえながら、上声部が小さなメロディを歌っている。バッキングに歌が生まれる、とよく言われるのはそのためです。
練習では、まずテンポを落とし、コード進行の各音がどこへ動くのかを確認してください。
1. ルートを弾かず、3度と7度だけで進行を弾く。
2. そこへ5度または9thを加える。
3. 音域が詰まる場合は、5度を外して13thなどに置き換える。
4. 前のコードと共通する音は残し、動かす音だけを最小限に動かす。
5. 最後に、ベース音を別に鳴らしてアンサンブルの状態を想像する。
「上に上がる進行ならAタイプ、下に下がる進行ならBタイプ」と最初から決めつけるより、実際の上声部を聴いて選ぶ方が確実です。曲のキー、メロディの位置、前後のコードによって、自然な配置は変わります。
ルートレスヴォイシングを押さえるときの左手の役割
ルートレスヴォイシングの左手は、単に「コードを鳴らす手」ではありません。ベースと右手の間をつなぎ、和音の性格を決め、必要ならテンションで色を加える手です。
低すぎる音域では、4音を密集させないことが大切です。左手の最低音が3度や7度であっても、それを極端に低く置けば、やはり響きは濁ります。ルートを省いたからといって、どこに置いても透明になるわけではありません。
まずは、左手のヴォイシングを中音域で鳴らしてみてください。音が薄く感じるなら、すぐにルートを戻すのではなく、右手でメロディや簡単なフレーズを重ねてみます。ジャズピアノの和音は、単独で完成したブロックとして鳴らすより、ベース、メロディ、リズムとの関係の中で完成するものだからです。
また、音を押さえる強さにも注意が必要です。左手が大きすぎると、どれだけ正しいヴォイシングでも全体を覆ってしまいます。右手のソロを支える場面では、左手は音数だけでなく、音量も控えめにする。ガイドトーンを「聞かせる」ことと、ガイドトーンを「叫ばせる」ことは別です。
実際の練習では、次のように音を減らしていくと、ルートレスの意味を体で理解しやすくなります。
- まず、ルート・3度・5度・7度を弾く。
- 低音域で濁りが出る場所を探す。
- ルートを抜いて、響きの変化を比べる。
- 5度も抜き、9thや13thを加えてみる。
- ベースのルートを想定し、コード名が耳に伝わるか確認する。
この順番なら、最初から「何を抜けばいいのか分からない」という状態になりにくいでしょう。ルートレスヴォイシングは暗記だけで身につくものではなく、音を足したり引いたりしながら、耳で必要な構成音を見つけていくものです。
例外と応用:ハーフディミニッシュの扱い
ここで、一つ大事な注意点があります。ルートレスヴォイシングは「すべてのコードでルートを完全に排除する」という厳密なルールではありません。コードの種類によっては、ルートを残した方が和音の形を把握しやすく、響きも安定することがあります。
代表的な例が、ハーフディミニッシュ、つまりm7♭5です。
Dm7♭5の構成音は、レ、ファ、ラ♭、ドです。ルートから見ると、
- ルート:レ
- ♭3度:ファ
- ♭5度:ラ♭
- ♭7度:ド
となります。
このコードで、Aタイプのように♭3度から積み上げる形を作るなら、ファ・ラ♭・ド・レという配置になります。音程表記では「♭3-♭5-♭7-R」です。実音も、ファ・ラ♭・ド・レで正しい形です。
一方、ここでルートのレを単純に9thのミへ置き換えればよい、と考えるのは危険です。Dm7♭5にとってミはナチュラル9thですが、コードの緊張感や解決先によっては、元のコードが持つ骨格をぼかすことがあります。特に、左手だけでコードの性格を明確に示したい場面では、ルートを残した方が扱いやすいでしょう。
ハーフディミニッシュは、♭3度、♭5度、♭7度によって、すでにかなり強い陰影を持っています。そこへさらに音を重ねると、響きが豊かになる場合もありますが、音域や音量によっては濁りが先に立ちます。
だからこそ、Dm7♭5では、
- ファ・ラ♭・ド
- ファ・ラ♭・ド・レ
- ファ・ラ♭・ミ・ド
のように、曲の流れと音域に応じて選びます。最後の形では♭5度のラ♭を省いていますが、これはコードの機能やメロディとの関係を見て使う配置です。いつでも同じ4音を押さえる必要はありません。
ハーフディミニッシュは、しばしばマイナーキーのII-V-I進行で登場します。たとえば、Dm7♭5→G7♭9→Cmという流れでは、最初から響きを開きすぎるより、Dm7♭5の不安定さを保ったままG7へ進ませた方が、短調らしい緊張感が出ます。
ここでは、コードの構成音を正確に把握することが特に大切です。Dm7♭5の7度はドであり、シではありません。♭5度はラ♭です。音名を一つ取り違えるだけで、別のコードのように響いてしまいます。
ディミニッシュ7thは、ドミナント7♭9と分けて考える
ディミニッシュ7thにも注意が必要です。
たとえばCdim7の構成音は、ド、ミ♭、ソ♭、ラです。ここで最後のラは、理論上はCに対する減7度、つまりダブルフラットのシ♭♭に当たります。ただし、ピアノの実音としてはラと同じ鍵盤になるため、実際の説明ではラと表記されることが多い音です。
構成音を音程で書くと、
- ルート
- ♭3度
- ♭5度
- 減7度
です。
ディミニッシュ7thは、短3度を積み重ねた左右対称の和音です。Cdim7なら、ドからミ♭、ミ♭からソ♭、ソ♭からラ、ラからドへ、すべて短3度の関係になります。そのため、ルートを省いても残った音からディミニッシュの響きを感じ取りやすいという特徴があります。
ただし、「3-5-♭7-♭9」という構成をディミニッシュ7thの形として扱うことはできません。これはディミニッシュ7thではなく、ドミナント7♭9系の構成です。
たとえばC7♭9なら、構成音はド、ミ、ソ、シ♭、レ♭。ルートを省略して3度、5度、♭7度、♭9度を並べると、
- ミ・ソ・シ♭・レ♭
になります。
これは、ミからソ、シ♭、レ♭を積んだディミニッシュのような響きを含みますが、コードとしてはC7♭9です。ドミナント7♭9の中にディミニッシュの構造が現れるため、両者が混同されやすいのです。
一方、Cdim7なら、
- ミ♭・ソ♭・ラ
のように、ルートを省いた3音を基本に考えます。そこへ別の音を加える場合も、ディミニッシュ7thの対称性を壊すのか、それとも別のコードの機能を作るのかを意識する必要があります。
この違いは、耳で聞くとかなり明確です。
- ディミニッシュ7th:均等な緊張感があり、どの音も中心になり得る
- ドミナント7♭9:特定のルートへ解決しようとする方向性が強い
たとえばG7♭9なら、ファ、ラ♭、シ、レ♭をルートレスで使えます。これはG7♭9の3度、♭5に相当する音、♭7度、♭9度を含む配置です。Cへ解決させるなら、シはドへ、ファはミへ動き、ラ♭やレ♭もそれぞれ半音進行による緊張を作ります。
同じように聞こえる音の集合でも、どのルートを想定しているかでコードの機能は変わります。だから、ディミニッシュの形を覚えるときは、鍵盤上の見た目だけでなく、コード進行の中でどこへ向かう音なのかまで確認してください。
ソロピアノでの活用:ルートを一度だけ鳴らす
ルートレスヴォイシングは、ベースがいるバンドの中で特に効果を発揮します。しかし、ソロピアノでも十分に使えます。
ソロでは、ピアノがベース、コード、メロディのすべてを担当しなければなりません。そのため、ルートを完全に省くと、和音の名前が聞こえにくくなることがあります。そこで役に立つのが、ルートを低い位置で一度だけ鳴らし、その後に中音域のルートレスヴォイシングを置く方法です。
ストライド奏法では、左手が低いルートを弾いた後、すぐに中音域のコードへ移動します。いわゆる「ルートからコードへ」という動きです。低いルートが一度鳴ることで、聴き手は調性とコードの土台を受け取れます。その後、左手が中音域へ跳び、ルートレスのヴォイシングを鳴らす。これで、ベースの役割とジャズらしい和音の色を一つの手で両立できます。
たとえば、Cメジャー7なら、
1. 低いドを短く鳴らす。
2. すぐに中音域でミ・ソ・シ・レを押さえる。
3. 右手でメロディや簡単なフィルを加える。
という流れです。
ここで大切なのは、低いルートを長く押さえ続けないことです。ペダルで低音を伸ばしすぎると、せっかく中音域を整理しても、響きが濁ってしまいます。ルートは「説明する音」として短く鳴らし、コードの色は中音域のヴォイシングに任せる。そうすると、音の役割が自然に分かれます。
ほかにも、右手でメロディを弾きながら、左手ではルートを含まないコードを置き、フレーズの区切りだけ低いルートを加える方法があります。毎拍ルートを弾くのではなく、曲の構造を示す場所だけに使うわけです。
ソロピアノでは、ルートの有無を二択にしないことが大切です。
- 低音でルートを短く鳴らす
- ルートの代わりに3度と7度を中音域へ置く
- 右手のメロディがルートを示している場合は、左手で重ねない
- ペダルで低音を伸ばしすぎない
- 低音とコードの間に十分な音域を空ける
こうした工夫を重ねると、ルートレスヴォイシングはバンド用の特殊な押さえ方ではなく、ピアノ全体の音域を整理するための考え方になります。
練習で迷ったときは、コード名ではなく音の行き先を見る
ルートレスヴォイシングを覚えるとき、最初はコードの種類が増えて混乱しがちです。メジャー7、マイナー7、ドミナント7、9th、13th、m7♭5、dim7と、記号だけを見ていると、押さえる音の数がどんどん増えていくように感じます。
けれども、実際に確認することはそれほど多くありません。
まず、コードのルートを決める。次に3度と7度を探す。その二音でコードの性格を確認し、必要なら5度やテンションを加える。最後に、次のコードへどの音が動くのかを見ます。
この順番を守ると、ヴォイシングがただの暗記になりません。
たとえばG7なら、ルートはソ、3度はシ、♭7度はファ。そこへ9thのラや13thのミを加える。Cメジャー7へ進むなら、シはドへ、ファはミへ向かう。これだけでも、G7の役割とCへの解決がかなり明確になります。
一方、Dm9なら、ルートはレ、3度はファ、5度はラ、7度はド、9thはミ。Aタイプはファ・ラ・ド・ミ、Bタイプはド・ミ・ファ・ラ。この実音を鍵盤で何度も確認し、手の形と耳の印象を結びつけていきます。
おすすめは、同じ進行を三つの段階で弾くことです。
1. ルートとガイドトーンだけで弾く。
2. 5度を加えて、基本の4音にする。
3. 5度を外し、9thや13thを加えて色を変える。
たとえばDm7→G7→CMaj7なら、最初はファ・ド、シ・ファ、ミ・シだけで弾きます。次に5度を加え、最後に9thや13thを試す。音数が増えるほど上達したように感じるかもしれませんが、実際には、少ない音でコード進行が聞こえることの方が大切です。
また、片手だけで練習するときも、頭の中ではベースのルートを鳴らしてください。左手でレを弾いていなくても、Dm7のレがどこかにあるつもりでファ・ラ・ド・ミを弾く。ベース音を想像できれば、ルートレスの響きは急に安定します。
一音抜くことから始まる、新しい響き
ルートレスヴォイシングは、最初は「本当にルートを弾かなくていいの?」という不安から始まります。コードの名前にルートが含まれているのに、その音を抜いてしまうからです。
しかし、仕組みを分けて考えると、やっていることはとても合理的です。
低音域のルートはベースに任せる。ピアノは3度と7度でコードの性格を示す。5度を省いてテンションを加え、必要な色を作る。コード進行の中では、共通音を残し、ガイドトーンを半音や全音で滑らかに動かす。
つまり、ルートレスヴォイシングは、音を省いて弱くする方法ではありません。音域の衝突を避け、コードの骨格を際立たせ、指の空いた場所にテンションを置き、アンサンブルの中でピアノの役割を明確にする方法です。
まずは、よく弾く一つの進行から始めてみてください。CMaj9→FMaj7でも、Dm7→G7→CMaj7でも構いません。
最初に、3度と7度だけを弾く。次にAタイプとBタイプを入れ替える。音が近くに残る配置を探し、そこへ9thを一音だけ足す。G7なら、シとファを中心に、ラやミを加えてCへの解決を聞く。Dm7♭5なら、ファ・ラ♭・ド・レという構成音を確認し、ディミニッシュ7thならCdim7のド・ミ♭・ソ♭・ラを別の和音として扱う。
このように、コードごとの構成音を正しく確かめながら弾けば、ルートレスヴォイシングは少しずつ手になじんできます。
一音抜いた瞬間、音が減ったように感じるかもしれません。でも、その余白にベースの低音が入り、ガイドトーンがコードの表情を作り、テンションが新しい色を加えます。ピアノだけで全部を説明しようとしない。その控えめさが、かえってアンサンブル全体を豊かにすることがあります。
ルートを手放すことは、土台を失うことではありません。誰が土台を担当し、ピアノがどの音でコードを語るのかを選び直すことです。その選択ができるようになると、左手の響きは軽くなり、コード進行は滑らかに流れ、あなたのジャズピアノには一音分の余白から生まれる深い色が加わっていきます。
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